京は遠ても十八里 ~ 海と都をつなぐ峠を辿り直す

『北山の峠』再訪

'PASSESS IN KITAYAMA' REVISITED

美山・唐戸越のユリ道(仮称)

丹波越 01 Tanba-goe

朽木からのアプローチ


 

 

 

 

 

 

丹波越の鞍部

久良谷側・支尾根ルートの確認

2018年3月上旬、丹波越を目指した。

目的としては、朽木桑原から峠にアプローチしたあと、久多側の久良谷上流部のルートについて検討したかった。

予報では、前日の雨がこの日は朝の曇りから次第に晴れに変わる、そんなはずの一日だった。

しかし広河原から能美越の峠に至って東を望むと、久多と朽木を界する高い山並には雲がかかり、さあっと小雪を浴びているのが見えた。

向こうの朽木から境界尾根まで安全に到達できるのか、不安もよぎった。

久多を経て朽木に入り、桑原から尾根に取り付いた。

植林のなかの急登を経て、尾根歩きが軌道に乗ると、踏まれた道跡がところどころ判別できるようになってきた。

見上げる前方の境界尾根の斜面は白く残雪に覆われている。

標高点622m付近で尾根道はいったん平らになるが、そのあと再び登りに入ると、道の窪みに溜まる残雪が目立つようになってきた。

一瞬、雲の切れ間から少しだけ青空がのぞいたが、それもかき消され、空は依然として灰色の雲に占められていた。

残雪を踏み抜きながら歩くと体力を消耗するので、本来の道の窪みを避けて歩くことになる。

それでも峠の間近までは、残雪の深さは十cm~数十cmであった。

右下からオハヤシ谷の源頭が迫ってきた。

茶屋跡として知られる窪みの付近、樹々の少ないたわんだ地形のなか、吹き溜まりのように一気に残雪が深くなる。

丹波越の鞍部に至る斜面、滑り落ちる恐怖を感じ、何度も雪を踏み抜きながらようやく丹波越の鞍部に達した。

看板が雪に埋もれて頭の部分だけ何とか姿を見せていた。

この日の目的は、丹波越の久良谷側の道について、違う発想での探究ができないか検討することだった。

『北山の峠』(中)では久良谷上流部について「こんな急な谷に峠道が作られるはずがない」(224頁)として除外している。

ここでは更に別のアプローチをあえて検討したかった。

すなわち谷筋でなく、峠から南西に派生する支尾根を通るコースが利用された可能性はないのかということである。

すなわち、峠の鞍部から久良谷の谷筋を下らず、真西へほぼ水平に左岸をトラバースする。

そして峠から100m進んだところで90度南に方向転換し、南南西に支尾根をたどって、標高710m、複数の谷が合流する久良谷の遷急点(滝となって流れ落ちはじめる地点)に至る。

そのあとは、久良谷右岸に報告されている高巻道をくだるというものである。

この支尾根の仮定のメリットとしては、谷筋でなく尾根道なので、増水などによる道の維持への影響がないこと、またこの支尾根に関しては傾斜が平均的で安定した上り下りが可能であろうこと、などがあると考えた。

丹波越の峠の鞍部から、この仮定通り、水平に左岸の斜面をトラバースした。

残雪がなければ容易なはずの行程だが、深さ1m近い残雪を踏み抜きながら、這うように進んで時間を要した。

前述の「90度南に方向転換」する地点でふと、空洞のある大きな杉の木に出会った。

下半分に大きな空洞がありながらも、二俣に分かれた上部では緑の枝葉をつけて健在であった。

仮説は仮説でありながらも、ちょうど方向転換が必要な地点に佇立している老杉であり、何かの目印であるような印象を湛えているのだった。

この地点から、右手に久良谷西俣の水音をかすかに感じながら支尾根をくだっていく。

峠の鞍部付近で苦心した残雪も、支尾根をくだると少なくなり、枯れ葉の地面の上を歩くことができるようになった。

雪圧と思われるが、灌木の形が下方へ撓んでお辞儀したまま固まっている。

S字型にヘアピンを切って明瞭に掘れ込んだ古道を発見したいという期待もあり、下るにつれてそうしたものが出現しないかという思いもあったが、少なくともこの残雪期の調査では、見出すことができなかった。

白いしぶきを立てる右下の水流が目に見えて近くなり、支尾根の末端に至って、谷の合流点に降り立った。

この支尾根は少なくとも地形としては、安定した傾斜であり、人間があがりおりすること自体は可能であると感じられた。

また、尾根の末端の白い岩石には、歩きやすいよう開鑿されたと思われる痕跡があった。

支尾根の末端が切り立った崖になっているということもなく、自然に支尾根に取り付くことも可能な地形だった。

久多の側から見るなら、久良谷を詰めてきた道は、ここで渡渉したあと、開鑿した岩石の脇から支尾根に取り付き、峠に至って居たという可能性はないだろうか。

久良谷の東俣、この支尾根の末端より少し上には小さな滝があり、その付近から久良谷の下流部を眺めすかせば、両岸の斜面は深い残雪に覆われているようだったが、古道の面影と思われる段差の地形に特に雪が特徴的に固まっているように見えた。

その久良谷下流を下っていくことはせず、そこから真東に東俣を100m遡行したあと、先ほど降りてきた尾根とはひとつ東側にあたる支尾根を登った。

この尾根は末端が谷に浸食されてかなりの急斜面になっており、一部分は細長く崩落していて、少なくとも峠道を安定してつけることは難しそうだった。

この尾根を這い上がり、丹波越鞍部真南にある850mピークに戻ってきた。

もういちど西に向かい、先ほどの大杉に再会しに行った。

粉砂糖のように薄雪をまとうこの杉の前で、巻尺を取り出した。

根元の地面際では周囲およそ8mあった。胸高での測定は困難だったが7mほどかと思われ、上半分の二俣となったあたりでも周囲5mはありそうに見えた。

心の中で、丹波越の大杉という名前を勝手につけた印象的なこの杉の周囲を何度も回って、その貫禄をしばし確かめたあと、丹波越の峠の鞍部に戻った。

昼を過ぎ、ようやく雲が割れて青空が優越してきた。

鞍部に溜まる深い雪のなか、いわゆる茶屋跡付近へと慎重に降りていくと、東に雲洞谷方向の谷合いが光を浴びて見えた。

すべりやすい残雪の斜面を、膝をついて這いながら、桑原へと至る尾根に戻る。

あとはこの一本の尾根道を、桑原へと戻る行程だけが残っていた。

尾根に残る道跡を、白く強調して示すかのような窪みの残雪。

樹々の枝越しに差し込んでくる午後の陽光。

はるか東に霞んで揺曳するのは琵琶湖の水面だろうか。

杉や樅の木やユズリハに彩られた道筋。

古えの旅人の足音を聞くような心持で、少しずつ尾根をくだっていく。

民家の屋根も眼下に見えてきた。

やがて尾根の末端で斜面が急になり、植林のなかの急坂を桑原に降り立った。

丹波越古道についてはすでに多くの探究が行なわれているが、特に久多側のルートについて自分の全身で自分なりの探究を経て実感を深めたい。

そんな気持は根雪と同様、まだ消えがてに残り続けている。

丹波越の大杉

丹波越鞍部西側の大杉(2018年3月6日)

丹波越の大杉

丹波越鞍部西側の大杉(2018年3月6日)

【次の記事】

金久昌業『北山の峠』(中)に掲載された峠。

なおトウ、タワ、タバ、タオなどは、鞍部など撓んだ地形を示す。

「とうげ」という言葉じたい、「タワ越え⇒トウゲ」という転化だろう。

丹波越も、タバ越えで、意味としては「峠」そのものではないか。

【旧版地形図では】

陸地測量部二万分一「細川」では、丹波越の古道の記載なし。もし記載があれば、古道の所在に関して有力な手がかりとなったのだが。